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ロマンチックはデカダンスと紙一重

 

 

 停滞は死滅である。

 

各界の著名人の名言として、ビジネスの格言として、この考えはよく耳にする。「停滞は衰退である」とか「停滞は退化と等しい」とか、言い方は様々だが、冒頭の表現がかなり強烈なので初めに用いてみた。早稲田大学の創立者・大隈重信の表現だそうだ。

 

そのまま「現状を維持しようとすることは、退化や衰退の始まりである」というところから、「だから、進化と変化を求め続けろ」というメッセージが導かれる。それだけではなく、端的なその響きから、「難しい道を選べ」「現状に甘んじるな」という圧も感じる。

 

一度納得できるレベルまで達したとき、そこで維持しようとすることは合理的でないわけではなく、それも難しいことであるのは確かだ。例えばボートのことでも、1年生のうちは何をやっても出来なくて、2年生で初めてシーズンを超えて漕ぎや競技のことが分かりはじめ、3年生の頃に自分の漕ぎとか競技観とかが出来上がってきたとき、それを大切にしながら突き詰めていくことは重要だ。ただ、いつのまにか1年生のときのような素直さや可変性が薄れ、自分の現状から大きく外れることのないものばかりに目を向けるようになってはいないか。なまじ知識がつきスタンスがある分、自分に都合の悪いものの判別もつくようになってしまう。

 

私はそうだった。

3年生の春に、どうしても思うような漕ぎが出来ない、タイムが出ない時期を過ごした。スランプを抜け出したい一心で、調子の落ち込む前の自分の漕ぎを取り戻そうと、あれこれ考えて試しているつもりで、どんどん視野狭窄になっていった。取り組みが「以前できたものを取り戻そう」という考え方に基づいてしまうと、例えそれが成功したとしても、マイナスがなくなるだけでプラスはない。つまりは現状維持に他ならない。しかも、その以前のものが絶対的な正解であるならばまだしも、それすら未完成な状態だとすれば、完成に近づかず、間違った方向に変わっていってしまうリスクもある。

私がそれに気付いたのは、スランプの自分と成長を続ける同期との違いを考えたときだった。素直さだ。自分の心地よい範囲や現状に固執しない、柔軟性と吸収力、ゼロベースで臨む態度だ。私は、それまで正解でもなんでもない、なんだかそれらしい「自分の漕ぎ」なるものに囚われていた。多分、怖かったんだと思う。また何をやっても出来ない、まっさらな状態に逆戻りするのが。

幸か不幸か、それに気づいたときには、そんな体裁を気にしていられるほど、私には競技力が無かったものだから、正解だと思い続けたやり方を全部忘れて一から取り組んでみた。そうしてどうにかこうにか、夏にはインカレ選考にかかるくらいに実力を伸ばせた(出漕こそ出来なかったがそれは別の話)。

 

今のままでいいとか、自分はこれでいいとか、納得して満足して立ち止まれば、そこから先には退化と衰退しかない。常に変化と進化を求め続け、出来る範囲で止まろうとしないことが、成長の鍵なのだと思う。前記の大隈重信は、次のような言葉も残している。

 

 枝葉を切っても木は蘇らない。

 根本を掘って自然の力、太陽光を根に当てて水を注げば、木は蘇生する。

 

小手先の器用な素直さを武器にせず、根っから誠実に成長できる人間は強い。

 

 

4年H組法学部 山本 茉友

 

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