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徒然なるままに書き散らした小梅日記

はじめまして。1年商学部の小池快虎です。同期が入部した経緯を熱く語るなか、僕は「自分とは何者か」というお題に沿って、自分の生涯をふりかえりたいと思います。

母の実家のある岐阜県で生まれた僕は、父の仕事の関係で半年後にタイのバンコクに連行されます。4歳になるまでバンコクで生活していましたが、あまり覚えていません。ただ、大きくなってから旅行で行った際にはどこか懐かしい感じがします。

次にバンコクから名古屋にある社宅に引っ越しました。そこには、たくさんの子どもがいたので幼稚園から帰ったあとはよく一緒に遊びました。また、年上の子からは快ちゃんと呼ばれるようになり同い年の子にも浸透していきました。そして、そのまま地元の公立小学校に進学したため、そこでもあだ名は引き継がれました。小学生の頃は少年野球チームに入り、キャッチャーをしていました。

小学校を卒業すると、またまた父の仕事の関係でパキスタンのカラチに引っ越しました。日本人学校に通いましたが、中学一年生は僕一人だったので、毎日マンツーマンの授業を受けていました。週末になると4歳下の弟を家に放置して父と母と僕の三人でゴルフをして過ごしてました。たった1年の滞在でしたが、僕の価値観を大きく変えた経験でした。帰国後は、もといた社宅に戻り、公立中学校に転入しました。2つの小学校が合わさった中学校だったので、半分友達半分初めましてという感じでスタートしましたが、結局みんなから快ちゃんと呼ばれるようになっていました。ちなみに中学ではサッカーをやってました。

中学を卒業すると、旭丘高校に進学しました。出席番号で一個前の男の子はお兄さんがすでにボート部だったので、彼はものすごく勧誘され、その流れで後ろに座っていた僕も勧誘され、試漕会に何度か行くうちにボートの魅力にとりつかれ、入部することにしました。毎日がとても充実していたのであっという間に時は過ぎました。ちなみに、中学までの知り合いはほとんどいなかったので、かいとと呼ばれることが増えました。

高校を卒業し、一年間の苦行を終えた僕は晴れて、一橋大学に入学しました。中学の頃に少しかじったこともあってゴルフ部に入ろうと考えていましたが、合格発表当日に久富先輩からどうだった?とLINEがきて受かりましたと返事をしてしまったことがボート部に入部してしまうことにつながる第一のポイントでした。次に体育会の集いでちょっとした好奇心からボート部のブースに行って下川さんと話してしまったことが第二のポイントです。せっかく高校でボートやってたんだから大学でも続けようよ的なことや経験者がいる代は強くなるからぜひ入ってほしい的なことを言われ、4月5日に入部宣言しました。先日行われた東日本選手権に来ていた高校の同期とすこし話をし、どうしてみんなしてボート部に入ってしまったのかを考えましたが、やっぱり練習はつらいけどなんだかんだ言ってボートが好きなんだなと同期と再確認しました。先輩の練習メニューを聞くと、高校のメニューにくらべてかなりタフですが、4年間頑張ります。

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