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劣等感を逆手にとって 3年 久富一史

 縁のなかった関東に越してきて3年目。少しずつ現地の生活に慣れてきたけど、やはり19年間生まれ育った故郷は僕のアイデンティティの核であり、これからも消えることはないだろう。今回のブログでは僕を説明する際に欠かせないわが故郷を紹介しよう。

 

 

 僕が生まれてから19年間過ごしたかけがえのない地。その名は...

 

 

 

 愛知県知多郡南知多町

人口:18,113人(平成30年11月)

 

 

 ...はい。今どき珍しい郡部。平成の大合併の際に隣町と合併して南セントレア市という高輪ゲー〇ウェイもビックリなDQNネームになりかけ話題になってしまった悲しい歴史がある地。(合併自体が否決になってよかった...) そのわが町の位置はこちら↓↓

 

 

 

 

 ...知多半島の最果て。周囲をほぼ海に囲まれ大自然に恵まれた土地といえるでしょう。そんなわが町の魅力がつまった画像をご覧あれ!

 

 

 奇祭「豊浜鯛まつり」、秦基博のひまわりの約束のPVロケ地となった「観光農園花ひろば」、人口密度の高さで日本でワン・ツーの有人島「日間賀島・篠島」、天然温泉、地中海風リゾートの「チッタ・ナポリ」、日本の渚百選のひとつ「千鳥ヶ浜」

 

 

 ...こうして見るとほんといいところだなと惚れ惚れしてしまうが、それは幻想。特に僕が生まれ育った豊浜地区はなんと...

 

最寄り駅(終着駅)まで10km。バスは毎時1本で最終は21時台。頼れる店はファミマだけ。(これはガチ。まともな規模のスーパーマーケットはおろか田舎によくあるドラッグストアやホームセンターすらない)

 

 親の車がなければどこにも行けない超ド田舎。思い返せばこうした田舎育ちの劣等感こそが僕の少年期を突き動かした一番のエネルギーだった気がする。マイルドヤンキーとして田舎でくすぶる生涯でいいのか。その敷かれたレールを変えるには勉強するしかなかった。幸い親はそれを全力でサポートしてくれた。知多半島を飛び出し名古屋にある県内トップ校に合格するため、週に3度家から30km離れた学習塾までの送迎を買って出てくれた。

 志望校に合格したのちに待ち受けたのは、部活動の選択。絶望的な運動神経に目を背け続けてきた中学生時代。新しいスポーツを始めて情けない自分を今度こそ変えたい。旭丘高校ボート部時代に僕の原動力となったのはここでも劣等感だった。

 進学先は尾張学区から優秀な生徒が集まり、本物の秀才たちを目の当たりにして勉強への自信を失っていき、次第に成績も落ちていった。必然的に迎えた浪人生活では自らのド凡人っぷりに絶望する暗くて辛い日々だった。そこでもめげずに勉強を続けられた原動力は、やはり「自分には何もない、だからせめて...」という劣等感だった。

 さて、高校から続けてきたボート人生もいよいよ最後の年になった。このチームには自分よりもエルゴが回る人がいっぱいいる。前回のスカルのタイムトライアルでは有望な後輩たちにとうとう負けてしまった。だが再び気づくことができた。自分には何もなかったのだ。もともと体は大きくないし運動神経はよくない。だからこそせめて人一倍努力して、精一杯生きた痕跡を残したい。このままで終われないのだ。最後の年、もうひと暴れしてやる。自分の原点に立ち返り劣等感を逆手にとって、飛躍を遂げたい。人生はホップ・ステップ・ジャンプなのだ!

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